すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

障害者手帳所持者の苦戦する就職活動(就活)

タイトルの通り、就活に苦戦している。先日、障害者手帳を取得してから初めて面接を受けた。1年以上就活の選考は受けておらず、久しぶりの面接だった。応募した求人は障害者専用求人ということで、面接も障害について細かく質問される。

「自分の障害について説明してください」

「服薬の頻度とどんな薬を飲んでいるのか、量は以前と比べてどうか」

「会社が配慮すべき点は何か」等々。

面接に臨む前にまとめておいた自分の考えを話して、割としっかり伝えることができたかなとは思ったが、結果は不採用だった。

この企業には職場見学や業務体験をさせてもらっていて、職場の雰囲気や仕事の内容についてイメージした上で面接に挑むことができた。お互いが出来る限り相手のことを知った上での結果なので、縁がなかったと切り替えるしかないかなと思う。

障害者の就職活動では、書類作成の際に「自分はどれだけ障害を受容できていて、体調が優れない時にどのように対処しているのか」などを具体的に記載しておくことが書類選考でのポイントになると思っている。

精神障害を持つ人の職場定着率は、他の障害に比べて低いため「この人もすぐ辞めるのではないか」という会社側の心配を出来るだけ取り除くことが必要だ。

しかし、練りに練った書類を作成しても選考を通過できるかどうかは応募先企業の判断で決まる。ハローワーク経由での応募の場合は不採用の理由を紹介状の裏に記載してFAXしてくれることになっているのだが、本当の理由を教えてくれる企業はほとんどない。結局なんでダメだったのかが分からないまま次の企業を受けてまた不採用、と悪循環になってしまう。

もちろん"ご縁"があるかないかで決まってしまう面はあるのかもしれないが、もう少しなんとかならないものかなぁと思ってしまう。

自分はまだ10社も応募していないが、このまま書類選考で不採用が続くかもしれないと思うとかなり不安だ。夏までに就活を終わらせたいと思っていたがもう9月。支援機関の方の力を借りながら、引き続き諦めずに取り組んでいきたい。どこかの企業が"拾って"くれることを待つ。

精神障害者手帳3級所持者の就職活動の現実

今週の火曜日、病院に行った。これまでは2週間に1度の通院だったが、前回から4週間に1度の通院になっている。通院当初は1週間に1度の通院かつ薬の調整も頻繁に行っていたため、状態はかなり良くなってきたということだと思う。

久しぶりに主治医に会ったら「太ったね」と言われた。1か月ぶりに会うと違いがよく分かるのだろう。最近は過眠・過食ぎみでうつ状態の日々を過ごしている。

前回の通院では、求職活動を行っても良いか主治医に確認していた。ハローワークで障害者枠の仕事を探すためには、主治医による「仕事を探してもOK」という意見書が必要となる。

先生は少し渋っていたが、自分はここ3か月ほど就労移行支援の事業所に通所できていること、体調はある程度落ち着いてきたことなどを伝えた結果「フルタイムで就労可」との許可をもらうことができた。

 

就労の許可をもらった前回の通院以来、就職活動を少しずつ始めているが、予想通りうまくはいかない。障害者枠で求人を探すのは今回が初めて。給与は月給10万円〜40万円程度までとピンキリ。(40万円の求人はレアだが)求人の数は一般枠に比べて圧倒的に少ない。自分は首都圏での就労を希望しているためある程度の求人数はあるのだが、宮城県でフルタイムの仕事となると本当に少ない。

現在のところ、ハローワーク経由で4件応募して、すでに2件は不採用。残る2件も倍率が高そうな求人のためあまり期待はしていない。障害者枠での就職活動では経歴のブランクなどが「甘く」見られるのかなぁと淡い期待をしていたが、実際のところはどうなのだろうか。

ちなみに、ハローワークを通して仕事を紹介してもらうと、不採用の理由を知ることができる。私の場合、落ちた理由はそれぞれ「すでに採用が決まった」「あまりにも遠方だから」という理由だったらしい。せっかく志望動機を練りに練って、写真代と郵送代をかけているのに素っ気ない理由だなぁとは思った。いちいち気にせず、次の準備をしたい。

今年の夏までには東京で就職を決めたいと思っていたが、ちょいと厳しそう。涼しくなったころには就職先が決まったらなぁと思う。

続・近況報告

久しぶりに記事を書く気になった。過去から振り返って社会人1年目の途中まではブログに書いたけど、その後の人生転落っぷりがすごすぎて書くのを躊躇している。いつか書こうとは思っている(いつになるのか…)。

 

就労移行支援事業所に通ってから2か月あまりが経過した。今のところは順調に通所できている。スタッフの方々がとても親切で、今通っている所に決めて良かったと思う。

1日のスケジュールとしては、9:30〜10:00の間に事業所に入る。10:00〜12:00が午前の訓練。昼食休憩1時間を挟んで13:00〜15:00が午後の訓練。15時には事業所を出ることになる。

自分は朝ギリギリまで寝てしまうので9:00ごろ起きても訓練に間に合ってしまう。これを改善しようと早起きを試みたが、うまくいかなかったので現在は諦めている。

うつ状態になると過眠になりがちなので、現在はその影響なのだと思う。医師に相談して服薬時間の調整をしたが、効果はあまりなかった。

いまの悩みは訓練以外の時間にやることがない・やる気が起きないということ。以前であれば図書館で読みたい本を見つけて読んでいたけど、最近は集中力が続かなくてあまり読めない。新聞を読んでも内容があまり入ってこないのがつらい。

そんな中で唯一の楽しみはTVでのプロ野球観戦。平日は早く18:00にならないかとソワソワしている。昨年から北海道日本ハムファイターズを応援している。今年のファイターズは主力選手の退団によって苦戦すると予想されていたが、現在パ・リーグ2位と健闘している。

ファイターズの打線上位はほぼ固定されているが、下位は日替わりで調子の良い選手が起用されることが多い。結果を出せば次の試合も使ってもらえるが、結果を出せなければ控えに回るか二軍での再調整を命じられる。毎日見ていると「この選手は二軍落ちかな…」とか「明日もスタメン起用ありそうだ」などが何となく分かってくる。そんなことを考えるのも楽しみの一つだ。

医師からは、体を動かすような趣味を持ちなさい、とは言われているが現在はファイターズの試合を観ることくらいしか趣味がない。これでも楽しみがあるだけマシと考えたいと思う。

 

もうすでに、病気と診断されてから9か月が経過した。そして先日、27歳になった。この9か月は本当に何もできなかったし、ただ生きているだけだなぁと思うような日々が続いた。いつかこの日々を肯定的に捉えることができる日まで、とりあえず生きていたいと思う。

近況報告

双極性障害と診断されて、休養期間に入ってから8か月が経った。これまでの間は生産的なことは何もしていない。図書館で本を読んだり、旅に出たりするくらい。何もできない自分に悶々としながら、とりあえず「生きて」きた。

現在の主治医には、「暴力と自殺だけはするな」と言われた。今でもそのときのことを鮮明に覚えている。先生にとってはこの病気の人全員に言っていることだとは思うが、自分の病気に真剣に向き合ってくれる人が(診察中だけとはいえ)目の前にいるということの嬉しさに泣きそうになった。

今年になってから、精神障害者保健福祉手帳3級を取得した。まさか自分が「障害者」になるなんて思っていなかった。交通費の助成を受けられるため手帳取得に踏み切ったのだが、自分が障害者だということを受け入れることは難しかったし、今後もそうだと思う。

現在は就労移行支援という福祉サービスを利用して、日中はパソコン作業や就職に向けたワークなどをして過ごしている。夏ごろまでには就職をしたいと思い、最近は履歴書と職務経歴書の作成をしている。これらの書類を作っていると、どうしても経歴のブランクのことが気になってしまう。職歴は2017年1月で途切れている。1年3か月以上も仕事から離れていることになる。

支援してくれる方には「そのくらいは問題ないよ」と言われるが、自分としては心配しかない。障害者雇用の枠に応募するつもりでいるが、自分のような経歴の人間を採用してくれる会社はあるのだろうか?採用されたとしても、長く続けられるのだろうか?そもそも自分は会社員として生きていくのがいいのだろうか?…などなど。

不安は尽きないが、まずは求人に応募して、自分のことを受け入れてくれる企業に巡り合えるように行動していけたらいいなと思っている。

将来的には、障害者枠ではなく一般の人たちに混じって就労できるようになりたい。この病気は治ることはないが、良くなることはある。いわゆる「寛解」状態である。症状をコントロールして働いている人はたくさんいる(らしい)。まずは、仕事が人並みにできるようになりたい。しっかり稼げるようになったら、もう一度結婚したい。幸せな家庭を築きたい。一度失敗はしているけど…。

27歳になる今年、どこまでできるかは分からないけれど自分なりに色々と頑張ってみたいと思う。

新卒1年目

新卒で入社した会社は食品メーカーではあるが、自社商品を販売する店舗を全国に展開しているため小売業の要素もあった。お店の99%はフランチャイズ店舗のため、ビジネスモデルとしてはコンビニチェーン本部に近い。CVSと異なるのは、自社で製造した商品を直接店舗に納品して販売することができるため利益が出やすい構造になっているという点だ。

新入社員は直営店に配属されるため、まずはじめは店舗業務が行えるよう研修を3週間ほど行った。自分は接客業をしたことがなかったので、レジ操作や接客言葉になかなか慣れずに苦戦した。加えて、商品作成はある程度技術を要するので居残りで練習してようやく新入りアルバイトに追いつけるくらいにはなった。

そして研修の総仕上げとして、ゴールデンウィークにセール期間中の店舗で現場に立った。お客様が店の外にまで並び、いつまでも列は途切れない。必死に目の前のお客様の注文を取り、間違いのないように商品を作った。それでも間違えることはあったが、謝罪して作り直した。

 

入社3か月は研修期間で、その間に座学や店舗実習を通して「店長」になるまでの準備をしていく。7月には店舗に配属され1店舗を任される。その楽しみもあったが不安のほうが大きかったように思う。

そうして迎えた7月。なんと自分は2店舗の店長になった。近接する店舗とはいえ、2つの店を任されるとは思っていなかったので驚いた。前任の先輩から引き継ぎを受けて、徐々に自分が店舗を管理するようになった。接客レベルもまだまだ、というのに店長になることはなかなか厳しかったが、いい経験をさせてもらっていた。

しかし、経験が豊富で接客も上手なアルバイトの従業員に対して、指示は出しづらかった。つい最近入社したばっかりの人間が「店長」として振る舞うというのは自分にとっても違和感があった。まずは自分がアルバイトの従業員に色々学ばせてもらうという姿勢でいるように心がけた。従業員にはどう映っていたかはわからないが…。

そういった後ろめたさを感じていたこともあって、「店長」として本来取るべきリーダーシップは取れないでいた。研修で学んできたことはいわば「理想のオペレーション」。実際の店舗では、すべきことを省略していることもあるし、そもそも従業員が正しいオペレーションを知らないということも多々あった。それらを放置せず、「理想の店舗」づくりをしなければいけない。どこまでやったらいいのか分からず、かなり戸惑った。結果、店長として出すべき指示を出せないこともあった。

そういった葛藤がありながらも、なんとか日々の業務をこなして、秋には先輩が離れて自分1人で管理することになった。そしてそのタイミングで、他部門の先輩社員が店舗に配属されることになり、自分の担当は1店舗のみになった。自分で2店舗やるつもりでいたので拍子抜けしたが、自分が教える立場になることで理解が深まることもあり、これもまた貴重な経験になった。

このころ、仕事が楽しいと思えることが増えていたように思う。アイデアも出るようになったし、アクションもどんどん起こした。おそらく、4月〜9月ころはうつ状態で、10月ころからは躁になっていたような気がする。そして、冬にかけて躁は加速していった。自分は仕事に必死で、何にも気づけていなかった。