すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

東京・初めて一人暮らしの大変さ

2010年3月下旬、実家から東京・杉並区荻窪のアパートに引っ越した。4畳半の1Kで1階、荻窪駅まで徒歩20分という物件。部屋探しは母が、引っ越しは父が手伝ってくれた。

入学式は日本武道館で行われた。桜が満開のなか北の丸公園に向かったことを覚えている。

J-POPの歌詞の中で、入学と桜が結びつけられるが、それには違和感があった。秋田では桜が満開になるのが5月のGWごろ。しかし東京では"歌詞通り"桜が咲いていたので「これが東京かぁ」と思った。

入学式を終えて学部のガイダンスのためキャンパスに向かうと、サークルの勧誘でごった返していた。サークルに入るつもりはなかったので先輩と話したりはしなかったが、応援団と準硬式野球部には誘われた。

結局卒業までサークル活動をしなかったが、野球をやっておけば良かったなぁとは思った。なにしろ高校までは野球と受験勉強しかやってこなかったので、体を動かす趣味としてでもやれば良かったかなと思う。

実家から出ての一人暮らしは本当に大変だった。家事スキルが皆無なため、簡単な調理をしたり洗濯をしたりすることさえ手間取った。自分で生活するスキルは小さいうちから少しずつでもやらなきゃいけないと痛感する。

食事は近くの西友で買ったり、大学の学食や外食しに出かけた。外食なんてのもほとんどしたことがなかったから、飲食店でご飯を食べることは新鮮だった。

授業が始まってからは、憂うつな気分であまり行きたくなかった。着る服がないし、大学に友達もいない。4月はふさぎ込むような日々を送った。それに加え、家から駅まで遠いのが辛かった。バスや自転車を使って荻窪駅まで行き、中央線で市ヶ谷まで向かった。以来、部屋探しの際は「駅チカ物件」を譲れないポイントにしている。

大学の授業は、第二外国語のドイツ語以外は面白かった。ドイツ語は英語に似てるとかでとっつきやすいと聞いたが、実際のところ全然頭に入らなくて苦労した。

授業時間は90分だが、興味深い講義はあっという間に時間が過ぎる。だからこそ、授業中に私語をする人間が許せなかった。そういう人はそもそも授業に来ないか黙って寝ていて欲しい。これは大学時代ずっと思っていた。

こういうことを気にせず集中していれば良かったのだが、なんでこんな奴らと一緒の授業を受けなきゃいけないんだ、大学のレベルが低すぎる、なんてことも5月頃には思っていた。