すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

「おれ、東大を受ける」

「なんかこの大学のレベルが低い」 

こんな風に思っていた。いまさら母校を批判するつもりは全くないし、いい大学だと思っている。ただ、新入生だったころはそう思っていた。

前回の話の続きになるが、授業中に私語をする連中のことが許せなかった。

ただ、たとえ授業中に騒がしくたって、彼らにはきっとキラリと光る才能があるはずだし、努力することのできる人たちだからこそ同じ教室にいたんだと思う。ただ、そのときはひどく狭いものの見方をしていた。

 

1年生の6月ごろ、おそらく躁状態になっていた。いま私が患っている「双極性障害(躁うつ病)」は、おそらくこの頃までに発症していたと思われる。医師からもそう告げられた。

とにかく、頭の中に考えが浮かんでくる。それをアウトプットせずにはいられず、ブログに記して友人などに知らせていた。本当に迷惑なことをしたと思っている。

その他にも、必要でもないことにお金を使ってしまう、夜あまり寝なくても平気で、常にハイな状態になるなど。双極性障害とネットで調べるとヒットするようなことに、自分はほとんど当てはまっていた。

観念奔逸とも言えるそのような状態で、実際に行動を起こしてしまい失敗をしたことがあった。

「おれ、東大を受けることにした。」

大学の春学期(前期)実家に帰った7月終わりころ、そんなことを家族に伝えた。なんと、躁の勢いで東京大学を受験しようとしたのである。全くもって無謀な試みであるが、これが躁うつ病の恐ろしいところである。

そして、「おれは将来文部科学大臣になって日本の教育を変える」そんなことさえ友人に話して回るほど、万能感に溢れた状態になっていた。

そのきっかけになったのは、『ドラゴン桜』という有名なマンガだった。マンガを読んでおれにもできる!と思って本当に実行に移してしまったのだ。

1年生の夏休み中は秋田に滞在していた。母校の高校を訪れた際に恩師に東大を受ける話をして、掛けられた言葉は「その赤本をおれが買うから、受験をやめろ」

そんなことを言われても、「おれならできるんだ」実にアホらしいが、そう思っていた。