すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

2度目の躁状態、そしてキャリアデザイン学部へ

震災が発生したのち、新学期が始まるまでには「おれは今の大学で頑張って卒業しよう」という気持ちになっていたように思う。5月から、またキャンパスへと通学して授業を受け始めた。

ただ、またしても考えがポンポン浮かんできて、それを表現せずにはいられない状態になってしまった。この時期にも多くの方々に迷惑をかけてしまったのが本当に申し訳ないし恥ずかしい。

ツイッターの記録を見ると、2011年6月には1日400投稿(リツイート…他人の投稿を引用して再投稿すること、を含む)をしていたようだ。頭の中にどんどんコトバやアイデアが生まれてきて、それをアウトプットしまくっていた。

お金もたくさん使うようになった。初めて自分で飛行機に乗って色々動き回ったのはこのころだったと思う。電車に乗るような感覚でANAに乗っていた。貯金はみるみる減った。授業を自主休講して、人に会いに西の方へ何度か行った。行く先々で無礼なことをしてしまった。申し訳ありませんでしたとしか言えない。

この頃の自分のツイッターを読めば何を考えていたのかが大体わかるのだろうが、過去の恥ずかしすぎる投稿を見るのが辛いため控える。とにかく人に会って、喋りまくっていたし人の話も聞いていた(はず)。

 

夏ごろだったか、「転部」をすることを考えた。転部とは自らの大学の中で所属学部を変更することだ。自分は経営学部だったが、会計科目に興味がなかったし実務のスペシャリストになりたいわけでもなかった。大学生のうちに幅広く学べる学部が良いと思い、「キャリアデザイン学部」という学部を志望した。

 

1年前、東大を受けようと思ったときは文科三類から教育学部に進みたいなぁと妄想していた。現状の日本の教育に不満があり、教育を良くしたいというあまりにも漠然とした問題意識があった。

そういう経緯もあり、教育学の勉強ができて経営学も学べるというキャリアデザイン学部であれば良いとこどりができると思い、転部の試験を受けることを決意した。

試験の内容は午前が英語の読解と和訳、小論文で、午後が教員による面接だった。他大学からの編入試験と同時に行われていた。

午前の試験が終わった後、受験者が教室に集まって、面接に進める人をその場で発表するというなかなかシビアな方式。呼ばれなかった人は荷物をまとめて帰っていった。

自分は無事に面接に進み、頭の中に渦巻く教育への問題意識などを語った。数日後、結果が分かり合格。2年次転部という形で「キャリアデザイン学部」という謎学部に進むことになった。