すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

転機

キャリアデザイン学部(以下、CD学部)への転部試験を経て、2012年4月にめでたく新学期を迎えた。それまでの間に色々とあったと思うがあまり覚えていないので割愛する。

同じキャンパスの学部とはいえ、友達も誰もいない。かといって経営学部時代に友達がいたわけでもないのだが。CD学部はこじんまりとしているため、最初のうちは1人でいるのが居心地が良くなかった。

カリキュラムは何年かごとに改定されるため現在は若干違うのだが、教育・ビジネス・文化という3つの領域を軸に学ぶことができる学部だ。

各分野の専門家である教授が在籍していて、かの有名な尾木ママもうちの学部にいらっしゃった。学生専用の教室や相談ルームがあり、マンモス大学ではあるがサポート体制がしっかりしているという環境だった。

そんな環境で本来は「よし、しっかり勉強するぞ!」となるはずなのだが、全くやる気にならず、昼になっても寮で寝ているような生活を送っていた。多分、うつ状態だった。

双極性障害躁うつ病)は躁状態うつ状態が両方起きる、非常に厄介な病気だ。私はこの病に長年苦しんでいる(はず)なのだが、このときは病識がなかったため、春なのにやる気が出ない自分のことが嫌になっていた。

 

そんな中、GW前頃だっただろうか、遊びに行こうという誘いがあった。この後、お付き合いすることになる人からだった。

実はTwitterで知り合っており、1月に初めて会ったと思う。その後何回か飲みに行ったことがあった。

このとき誘われたのは、渋谷区の代々木公園で行われていた「東京レインボープライド」というイベントだった。これは

性的指向性自認のいかんにかかわらず、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、各個人が幸せを追求していくことができる社会の実現を目指すイベントの総称』

https://tokyorainbowpride.com/about-trp2018

とのことだ(今年のイベントページから引用)。

今でこそメディアで報道されることも増えてきたように感じるが、そのころは自分も良く分かっていなかった。

そもそも、自分がなぜここにいるのか困惑していた。連れてきてくれた彼女のお友達とも初対面で、完全に自分はアウェイだった。ただ、この日を境に、彼女と何度も会うことになっていった。不思議な感覚があった。