すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

国家公務員障害者選考採用者としての新生活

4月から新生活を送っている。採用されてからおよそ2か月が経過した。

正直、結構きつい。辞めたいとは今のところ思っていないが、これまでの自分だったら辞めていたかもしれない。働くことは大変だ、と改めて感じている。

私は就職する前、2019年3月まで1年間、就労移行支援という福祉サービスを利用していた。ここでの生活は、下記の通り。

09:30〜10:00 施設へ入室

10:00〜12:00 午前の活動

12:00〜13:00 お昼の休憩

13:00〜15:00 午後の活動

正味4時間ほどの活動を週5,6のペースで行っていた。

それが4月からは7.75時間勤務(8:30〜17:00,うち45分間は休憩)になった。およそ倍の活動時間であるから、疲れて当たり前だとは思う。それは主治医にも言われた。

ただ、就職活動をしていた時の自分はフルタイムでも全然働けると思っていた。それは間違っていたと、4月以降に感じた。

理由は、以前の調子が良かった頃の自分の姿を描いていたから。おそらくこれに尽きるだろう。いわゆる「軽躁状態」の自分を描いていた。就労移行支援のスタッフに「フルタイムで働くことに、なんでそんなに自信があるのか」と聞かれたことがあった。

その質問をされるのはもっともなことだ。就労移行支援での活動時間の倍の時間を勤務することになるのに、自分は健常者と同様に働けるだろうという、根拠のない自信があった。

実際に働いてみると、スタッフに指摘されたことは全くその通りだったと感じた。今はまだ研修中なので負荷は少ないはずなのだが、それでも丸一日集中し続けるのは非常に疲れる。

就労移行支援のサービスを利用していたから、なんとか踏ん張ることができているということは確かだ。もしサービスを利用せずに不規則な生活を送っていたら、今以上に体力は低下していて、すぐに辞めるようなことにもなっていただろう。

就労移行支援のスタッフには、現在も引き続き定着支援という形で定期的にビデオ通話で面談を行い、上司にも内容を共有してもらっている。

自分が利用していた他の福祉サービスのスタッフへ電話で相談することもできるため、支えてくれる人のおかげで自分はなんとか生活できている。本当に有難いことだ。

これまでの自分であれば、ひとりで悩み、ひとりで決断して勝手な行動を取り、人や会社に迷惑をかけていた。今回の就職に関してもそうなるリスクはないとは言えないが、少なくとも以前よりは低い確率だろうと思う。

せっかく掴んだチャンスなので、できる限り食らいついていきたいと思っている。必要な配慮については随時相談して、限界になる前に対処していきたい。

国家公務員障害者選考試験(その2)

次回に続くと書いてから2週間以上経ってしまった。明日からは晴れて国家公務員となるが、その前に書ける範囲で振り返っておきたい。

2月3日に第1次選考試験が行われて、およそ3週間後の2月22日に第1次選考合格者発表が行われた。10:00にWebで発表されるということで、人事院のホームページを何度もリロードした。

10:00ちょっと前だっただろうか、合格者発表のページにアクセスできた。受験番号を探す。…あった。驚きと喜びが交錯した。自己採点では30問中19問正解だったから、正答率は63.3%。一般的な公務員試験では7割得点できたら大丈夫と聞いたことがあったので、ダメかなと思っていたがなんとか通過することができて本当に良かった。

人事院が公表した「平成30年度障害者選考試験 第1次選考通過得点及び平均点等一覧」

https://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/senkou_heikin.pdf

によると、試験の区分・東北においては合格最低点は16点だった。しかし激戦区の近畿においては22点取らないと合格できなかったようだ。

この差については特に言及しないが、運良く第1次選考を通過できたのは確かだった。合格発表を確認後、就労移行支援の支援員に相談しながら面接の予約を始めた。

第1志望の官庁にまず電話をしたが、何度かけても話し中。ライバルが多くいるのだろうと感じた。何度か電話して、無事に面接の予約を取ることができた。

実は面接開始となる2月27日には民間企業の面接も控えていた。そのため2月28日以降に面接予約をしていこうと思ったのだが、多くの官庁は2月27日と28日しか面接を受け付けていない。そのため、自分はその2日間に面接の日程を詰め込み、6つの官庁を訪問することにした。

面接を受けると決めたら、ほとんどの官庁では「面接カード」という履歴書兼職務経歴書のような書類を求められるため、その作成にあたった。就労移行支援の支援員にも協力していただき、志望理由や自己PRを練り、面接に備えた。

そして迎えた面接初日。初めて訪問した官庁の面接は、面接官が会話をリードしてくれて、とても話しやすかった。簡潔に答えてくださいと告げられていたので、リズムよく答えるよう心がけた。

次に訪問した官庁では、あまり予想していなかった質問をされて少し戸惑ったが、無事に終えることができた。同席してくださった就労移行支援の支援員によると、「疲れが見えていた」とのこと。笑顔で話していたつもりだが、疲れが出てしまったのだろう。

面接2日目。朝早くから面接があった。ここでもやはり鋭い質問を投げかけられる。自分なりの返答をその場で用意した。相手が自分に興味を持ってくださっていることが伝わってきて、嬉しかった。

そして迎えた大本命・第1志望の官庁。時間にゆとりを持って庁舎に到着していたため、気持ちにゆとりがあった。控え室で待機したあと、ほぼ予定の時刻に呼び出される。気合いを入れ直した。

面接室に入室したら、業務説明会でお会いしたことのある方が面接官だった。私のことを覚えていてくれて、その話もすることができた。

面接は終始和やかなムードで行われた。リラックスして答えるように促されるなど、自分にとってかなり自然体で答えることができた。

そして面接終盤。他機関から内定をもらっていないか確認された。「キタ!」と思った。他機関から内定をもらっておらず、もしこの機関で内定を出したら他は断ることを約束した。

そして告げられた、「内定です」

再び、キター!と思った。その場で告げられるのか、と驚いたが内定らしい。その後様々な説明を受け、部屋を後にした。

内定を受諾したため、選考中の他機関には辞退の連絡を入れる必要がある。午後一番に受ける予定だった機関にすぐ連絡を入れた。「おめでとうございます」と言われた。就労移行支援の事業所に戻ってから他の全ての機関に辞退の連絡をして、非常に長い就職活動が終わった。

あす、4月1日には国家公務員になる。自分は出だしで躓くことが多い。時には人に頼りながら、あまり無理せずにやっていきたい。

国家公務員障害者選考試験(その1)

2年2か月にもわたる無職生活にピリオドを打ち、4月1日から国の機関で働くことになった。

公務員試験を受けようと決意したのは2018年12月。障害者選考試験が行われるということは10月に決まっていたが、試験を受けようと思ったのはしばらく経ってからだった。

自分はこれまで公務員になろうと思ったことはなかった。なぜなのかは良く分からないが、試験勉強が大変だし、なんとなく選択肢から外していたように思う。

正直、民間の企業では就職が難しいだろうということは感じていた。障害をオープンにして障害者求人にチャレンジしてきたが、なかなか結果が出ず心が折れそうになっていた。

そんな中で障害者選考試験を実施するという情報が舞い込んできた。高卒程度試験ということに加えて、問題数は通常よりも10問少ない30問。これならいけるかもしれない。筆記試験さえ通ればあとは面接勝負だと思い、チャレンジすることにした。

試験を受けると決めてからは、必ず毎日勉強するようにした。受験生としては当たり前の態度であるが、試験勉強をするのは久しぶりだったので少しずつ勉強するリズムを作っていった。

 

今回の障害者選考試験では、知能分野15問、知識分野15問の計30問が出題されると発表されていた。

特に苦労したのは知能分野の数的処理(数的推理)。中学受験のような算数問題(仕事算・速さなど)や高校レベルの数学(場合の数・確率など)の問題が出題される。

自分は高校3年から文系科目に絞って受験勉強していたため、数学の知識がごっそり抜け落ちていた。そもそも"数学"を必要としない問題もあるのだが、どうしても苦手で最後まで克服できなかった。その結果、本番では4問中1問しか正解できなかった。(本番の結果は自己採点の結果を記載している)

数的処理で得点できないと思った分、同じく知能分野の課題処理(判断推理) には力を入れて勉強した。自力で解けるようになるまで参考書の問題を繰り返し解いた。本番では5問中4問正解できたので問題演習の甲斐があった。

文章理解に関しては5問パーフェクトだった。国語と英語は得意なので無難に得点できた。知能分野は15問中10問正解だった。

知識分野については、範囲が広すぎる(高校レベルの国語・数学・英語・理科・社会)ため対策のしようがなかった。数学は出ても1問だと思い捨てていた(本番では出題されず)。

理科もほぼ諦めていたが生物は履修していたこともあり多少は知識があった(本番では1問出題され正解)。社会は日本史・世界史・地理についてサラッと学習はしたがいかんせん範囲が広すぎてキツかった。

本番では知識分野15問中9問正解だった。知能分野と合わせて19問正解。ケアレスミスで3問落としたことに自己採点で気がつきかなり凹んだ。

そこから第一次選考通過者発表までの2週間あまりはダメなのかな、もしかしたら受かってるかな、と不安8割・期待2割くらいの気持ちで過ごした。

次回に続く

障害者手帳所持者の苦戦する就職活動(就活)

タイトルの通り、就活に苦戦している。先日、障害者手帳を取得してから初めて面接を受けた。1年以上就活の選考は受けておらず、久しぶりの面接だった。応募した求人は障害者専用求人ということで、面接も障害について細かく質問される。

「自分の障害について説明してください」

「服薬の頻度とどんな薬を飲んでいるのか、量は以前と比べてどうか」

「会社が配慮すべき点は何か」等々。

面接に臨む前にまとめておいた自分の考えを話して、割としっかり伝えることができたかなとは思ったが、結果は不採用だった。

この企業には職場見学や業務体験をさせてもらっていて、職場の雰囲気や仕事の内容についてイメージした上で面接に挑むことができた。お互いが出来る限り相手のことを知った上での結果なので、縁がなかったと切り替えるしかないかなと思う。

障害者の就職活動では、書類作成の際に「自分はどれだけ障害を受容できていて、体調が優れない時にどのように対処しているのか」などを具体的に記載しておくことが書類選考でのポイントになると思っている。

精神障害を持つ人の職場定着率は、他の障害に比べて低いため「この人もすぐ辞めるのではないか」という会社側の心配を出来るだけ取り除くことが必要だ。

しかし、練りに練った書類を作成しても選考を通過できるかどうかは応募先企業の判断で決まる。ハローワーク経由での応募の場合は不採用の理由を紹介状の裏に記載してFAXしてくれることになっているのだが、本当の理由を教えてくれる企業はほとんどない。結局なんでダメだったのかが分からないまま次の企業を受けてまた不採用、と悪循環になってしまう。

もちろん"ご縁"があるかないかで決まってしまう面はあるのかもしれないが、もう少しなんとかならないものかなぁと思ってしまう。

自分はまだ10社も応募していないが、このまま書類選考で不採用が続くかもしれないと思うとかなり不安だ。夏までに就活を終わらせたいと思っていたがもう9月。支援機関の方の力を借りながら、引き続き諦めずに取り組んでいきたい。どこかの企業が"拾って"くれることを待つ。

精神障害者手帳3級所持者の就職活動の現実

今週の火曜日、病院に行った。これまでは2週間に1度の通院だったが、前回から4週間に1度の通院になっている。通院当初は1週間に1度の通院かつ薬の調整も頻繁に行っていたため、状態はかなり良くなってきたということだと思う。

久しぶりに主治医に会ったら「太ったね」と言われた。1か月ぶりに会うと違いがよく分かるのだろう。最近は過眠・過食ぎみでうつ状態の日々を過ごしている。

前回の通院では、求職活動を行っても良いか主治医に確認していた。ハローワークで障害者枠の仕事を探すためには、主治医による「仕事を探してもOK」という意見書が必要となる。

先生は少し渋っていたが、自分はここ3か月ほど就労移行支援の事業所に通所できていること、体調はある程度落ち着いてきたことなどを伝えた結果「フルタイムで就労可」との許可をもらうことができた。

 

就労の許可をもらった前回の通院以来、就職活動を少しずつ始めているが、予想通りうまくはいかない。障害者枠で求人を探すのは今回が初めて。給与は月給10万円〜40万円程度までとピンキリ。(40万円の求人はレアだが)求人の数は一般枠に比べて圧倒的に少ない。自分は首都圏での就労を希望しているためある程度の求人数はあるのだが、宮城県でフルタイムの仕事となると本当に少ない。

現在のところ、ハローワーク経由で4件応募して、すでに2件は不採用。残る2件も倍率が高そうな求人のためあまり期待はしていない。障害者枠での就職活動では経歴のブランクなどが「甘く」見られるのかなぁと淡い期待をしていたが、実際のところはどうなのだろうか。

ちなみに、ハローワークを通して仕事を紹介してもらうと、不採用の理由を知ることができる。私の場合、落ちた理由はそれぞれ「すでに採用が決まった」「あまりにも遠方だから」という理由だったらしい。せっかく志望動機を練りに練って、写真代と郵送代をかけているのに素っ気ない理由だなぁとは思った。いちいち気にせず、次の準備をしたい。

今年の夏までには東京で就職を決めたいと思っていたが、ちょいと厳しそう。涼しくなったころには就職先が決まったらなぁと思う。