すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

東日本大震災から10年経過した今、思うこと。

◆東京の学生寮で横になっていた。2011年3月11日のことである。大きな揺れにより目覚めたのだが、感じたことのない揺れにパニックになった。そこで何をしたかというと、前日届いたばかりの32型液晶テレビを必死に抑える、という決して褒められない行為だった。「この子だけは守る」と咄嗟に判断した上での行動だったのだが、他に落下するようなものがなかったからこんなことができたのだろう。

◆長く激しい揺れが落ち着いたのち、死守したREGZAの電源を入れた。東北地方で震度7との情報が入る。津波が来るらしい。家族に連絡しようとしたが、つながらない。感情のやり場に困りながらも、自分の命が助かったことに安堵した。しばらくすると、津波の映像がREGZAに映し出された。終わったと思った。アカンやつだというのは、19歳にとっても認識できた。自宅は日本海側であるため、津波の心配はなかったが、誰かが犠牲になっているということだけは明らかだった。夕方、学生寮のロビーに人が集まった。「やばいらしいよ」「まだ燃えてるね」そんな話を耳にしながら「おれは無事で良かった」と考えてしまう自分のことが、なんとなく嫌いになった。

◆東京にいる人も、帰宅困難者になってしまったり、落下物の被害に遭ったりと、首都圏でも地震の影響があったと知った。自然エネルギーの大きさを目の当たりにした自分は、とてつもない無力感に襲われた。三陸沖が震源なのに、東京で震度5強を観測したというニュース。これは本当にやばいやつだと、非常に不安な気持ちになった。その後の原発事故については、正直よく分からなかったけれども、大変なことになっているらしい、という程度の認識はあった。

◆これらの経験があっても、被災地支援活動はできていない。少しの金銭を寄付したのみ。行動力のある学生のように「とにかく人のために」なんてマインドもなかった。自分では未だに震災という出来事を咀嚼できていないし、消化なんかできていない。当事者それぞれのストーリーを思い浮かべて、ただ寄り添い、暖かい言葉をかけることしかできない。

クマムシの「あったかいんだからぁ〜♪」という曲が、かつて流行った。「特別なスープ」というのは、文字通り、酸いも甘いも溶けこんだポタージュのようなものだと思う。人それぞれの人生があり、どんな背景があるかは分からない。しかし「特別なスープ」を渡すことなら、受け取るかどうかは相手が選ぶことだ。土足で他人の世界に入り込むのはやめた。その人のために何ができるか、自分はどんなスープを渡せるのか。こんなことを考えながら、20代の青年期をがむしゃらに走った。