すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

脳内棚卸

過去の決断をしょっちゅう後悔する。自分の現状に満足していないことが原因だろう。過去の転職、交際や結婚、家族との関係。会社、地域、地元、その他さまざまな人間関係。ぶっ壊してきた。あのときこうしていれば、しなければ、と思うことが本当に多い。


「これまでいろんなことがあったけど、いまは幸せだからOK」という人は多いと思う。それは、現状に満足できているからであり、そこまでのプロセスを他者に開示しないまでも、その人なりの努力を積み重ねてきたからこそだと思う。


「じゃあ、理想の自分になるためになんか努力してるの?」なんて質問されたところで、いまの自分は渋い表情をするのがやっとだ。朝起きて、仕事に行く。仕事を終えて帰ったらシャワーを浴びて、簡単な料理をつくる。それを肴に酒を飲みながらTVやスマホ。日付が変わらないうちに床に入って、また次の日も仕事。どこにでもいるような社会人、いや、そんなことを言ったら失礼か。


いつからか、目標に向かって努力ができなくなってきた。野球をやっていたときと、大学受験のときが一番努力できていたのかもしれない。でも、30代にもなって大学受験のときが努力できたピークでした、なんて言うのは恥ずかしいことだと思っている。それくらい、自分の20代は空虚というか、手応えがないというか、フワフワしているような日々が続いた。


この文章を書いていて気づいたけど、さっき書いたような平凡な日常みたいなのって、今年の春まではできていなかったことだ。仕事に行けなくなり、休職していた。その時に比べれば、いまの自分は努力しているんだろう、きっと。なんだか、自分に対する期待値が下がってしまったような感じがするが、こういうもんなのかもしれない。いまの仕事のクオリティやスピードを上げたり、できることをやっていけば、もう少し別の努力ができるような余裕も生まれてくるだろうか。


最近、脳内がごちゃごちゃしているというか、考えがまとまらないことが多いから、iPhoneに外付けキーボードを接続して文章を打ってみた。ブログもしばらく書いていないから、やはりアウトプットが足りていないんだろう。他者と話す機会はまあまああるけど、それはやはりキャッチボール。反射的なものであり、相手が受け取りやすい言葉を選ぶし、求めている言葉を投げる。

 

ブログに載せるような文章を書くときは、もちろん人に読んでもらうための推敲はするけれど、自分の脳内にあるストックを放出するのが最優先だ。なんなら今回はメモ書き程度にしようと思ったら、ブログに載せるくらいの文量になりそうだと思ったので久々に投稿することにした。自身の内面にあるものを言語化するときには、こんな感じで書きなぐるのがいいのかなと思った。ときおりこういう脳内棚卸的なことをやってあげないといけないなということに気づけただけでも、フルサイズのキーボードを引っ張り出した甲斐があった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。