すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

行き場のない感情は、どこに行くのか。

◆自分の気持ちが大切にされていないと気づいた瞬間、コミュニケーションを取る気持ちが消滅する。そんなとき、悲しいと思うこともあれば、途方のない虚しさを抱くときもある。人生を重ねるにつれて、そんな風に思うことが増えてきた。悲しいと思うことの幅が広がった。大人になればなるほど、痛みや悲しみに対して鈍感になると思っていた。多くの大人は日々増えていく悲しさや憎しみを、必死で自分から逃していることによって、なんとか生きているような気がする。それらの感情は、どこに行くのだろうか。誰かにぶん投げている人は、よく見かける。

◆「行き場のない感情」の、ふさわしい行き場を考えてみる。それは便所であり、ゴミ捨て場のような気がする。何かある度にいちいち悲しい気持ちになっていては、人間の尊厳が保てない。しかし、ときおり「感情のゴミ箱」を漁りたくなる時がある。愚かなことではあるが、なんとも人間らしい。一度は吐き出したクソみたいな感情に、もう一度名前をつけてあげるのだ。はいはい、これは悲しさですね〜。これは怒りですね〜、なんて。そんな感情には、もれなく最悪な思い出がくっついている。

◆ぼくの20代はなんだったんだろう。「成長」や「経験」という言葉でくくられたくない。あまりにもネガティブなことが多くて吐きそうになる。双極性障害と診断されるくらいには、アップダウンの多い人生だ。僕はわがままな人間である。社会に適応するには従順であることが重要だと、大人から学んだ。教えてくれた人には感謝している。ただ「なんでお前みたいな人間の言うことを聞かないといけないんだ、この野郎!」という気持ちは、ある。イラッとしたときは、いつもそのセリフが喉の奥まで出てくる。

◆こんなことを29歳になって書き綴るのは大人げないというか、あまり評価されないことかもしれない。でも、この気持ちをゴミ捨て場に持っていくのは悔しいという気持ちが残っていたから書いた。何者にもなれないのは分かってる。自分は自分でいることだけが、唯一残された生きる道だ。