すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

学生離婚

実家から東京に戻ったあとも、ほとんど妻と会うことなく過ごした。家には帰らず、ネットカフェやスパ・サウナ、カプセルホテルなどを転々とする日々。ときどき日中の家に帰り、必要な着替えなどを持ってまた出かける。今思い出すとなんでこんなアホなことをしていたんだろうと思う。家があるのに「ホームレス」生活をしていた。

お金はかなり使った。なぜか日本橋高島屋に行き、7万円くらいのジャケットを買った。躁状態じゃないとこんなことはしようと思わないだろう。日々の宿泊費や食事代はクレジット払いでなんとかこらえた。

妻と向き合い今後のことを話し合う必要があったのだが、とにかく逃げ回っていた。向き合って話をするのが怖かった。情けないことだし、多くの人に責められた。なによりも妻の人生を壊していた。だけどその時の自分は、とにかく逃げることしかできなかった。どこかでキチンと話をして、2人の関係に終止符を打つ必要があるのは分かっている。なのに、先送りし続けた。

夏休みころには、完全に別居生活になった。部屋の明け渡しのとき、久しぶりに家に帰ると、部屋はガランとしていた。妻は部屋を見つけて既に引っ越しを済ませていたようだ。家具・家電はいらないと言い放ってしまったので、彼女が使わないものだけが残されていた。

その部屋の鍵を管理会社に渡した瞬間、私はホームレスになった。次に住むシェアハウス入居までの10日間程度ではあるが、落ち着かない日々だった。その間はゲストハウスに泊めていただけたので、路上生活をすることはなかった。

その後、妻とはメールのやり取りなどで正式に離婚をするということで合意した。10月末、久しぶりに再会してサインと押印をしてもらった。ほとんど話はしなかった。翌日、区役所に離婚届を持参して手続きは終了。結婚も離婚も、紙切れ1枚で終わる。23歳バツイチになった瞬間だった。

離婚したといっても、それまで別居生活をしていたため特に生活が変わるということはなかった。同棲→結婚のときと同じである。ただ、離婚をすると決めたときからかなり時間が経っていたので自分のなかで「本当にこの選択で良かったのだろうか」という思いがグルグル巡っていた。「離婚するしか方法はない」という状況を自分自身がつくりだしていた。

本当は、離婚をせずに幸せな家庭を築きたかった。だけど、自分には無理だった。とても情けなかった。自分の身勝手さ、無力さ。自分の嫌なところがすべて出てしまった。

ある日、幸せそうな家族連れを見て不意に涙がこぼれた。「おれもこんなふうになれたのかな」

電車内で突然泣いたこともあった。なぜだか悲しさが一気に押し寄せてきて、顔をカバンに突っ伏して終点まで顔を上げられないこともあった。でも、全ては自分のせいだ。なんとか感情をコントロールして、強く生きなきゃいけないと思っていた。