すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

無気力が続く、そして震災発生

あれだけ東大を受ける!と躍起になっていたのに突然無力感に襲われたので、どうすることもできなかった。気分がハイになったときも、落ち込んだときも誰かに相談して、病院に行くなどの対応をしていればその後の人生で傷を負う回数が減ったのにな、と今になって思う。

 

夏休み明けから住んでいた寮では朝・夕それぞれ、事前に希望すれば食事を用意してもらえた。夕方に目覚めたら食堂で用意された夕食を食べ、自室に戻る。スマホ2chまとめサイトをひたすらとスクロールし続けて、そのまま朝になったら朝食を食べてまた眠る。そんなクソみたいな半引きこもり生活を半年ほど送った。受験は完全に諦めた。大学は半期休学をしたのでキャンパスにはほとんど行かなかった。

2010年12月ころ、人生で初のアルバイトをした。寮の先輩に「1日働いて手渡しで1万円もらえる」と勧められたのでやってみることにした。大学キャンパスの設備メンテナンスや、貯水槽内部の清掃作業などを行った。朝ごはんと昼ごはん代、休憩中や仕事終わりのジュースも買ってくれて、現金で1万円もらえる。ヘルニア持ちの自分にとって、肉体的にはかなりしんどかったが働いてお金を稼ぐのは達成感があった。

クソみたいな生活と書いたのだが、この頃の記憶があんまりなくて何をしていたのか思い出せない。おそらくほとんど何もしていなかったんだろう。塾講師のアルバイトに応募したが不採用だったので仕事は日払いのをちょこちょこやっていた。

 

そして、月日は流れ2011年3月11日。自分はそのとき東京の寮でゴロ寝をしており、帰宅難民にはならなかった。地震発生時は買ったばかりの32型液晶テレビがラックから落ちるのを防ぐことで精一杯だった。

そのテレビで被害の状況を確認し、少しずつ大変なことになったということが分かっていった。秋田の実家は特に被害がなかったが、停電や断水、ガソリンスタンドに行列など、生活に支障はあったらしい。

大学の新学期スタートは震災の影響で5月に延期になった。会う人に秋田出身だと言うと大丈夫だったかと心配されたが、自分は特に被害を受けていないのでなんとも言えない気持ちになったことを覚えている。「東北」といっても震災に関しては太平洋側3県の被害が甚大すぎたため「東北」と括られることに違和感を感じていた。