すいかの履歴書

一生懸命、生きている人の日記。

仮面浪人

躁状態という、激しくエネルギッシュで自信満々な状態で東大受験を志したわけだが、「俺ならできる」なんて根拠は1ミリもないわけで、無謀of the無謀であった。

夏休みが終わった2010年9月、半年しか住んでいない荻窪のアパートを出て秋田県出身者のための寮に住むことになった。住んでいたアパートは日当たりが悪く、環境がいいとは言えなかったことに加えて親は俺のことが心配で、周りに人がいる状態のほうが好ましいと思ったのだろう。

寮の場所は世田谷区北沢で、下北沢界隈まで徒歩5分という最高の立地だった。そんな中で、自分は「仮面浪人」という選択をすることになる。これは、私の好きな「いきものがかり」のリーダー・水野良樹さんの真似だった。

水野さんは、3人いるメンバーの一番左に立ってギターを弾いている人で、作詞作曲を担当している。明治大学に在学中、大学の授業と並行して受験勉強をして一橋大学に合格し、卒業したという方だ。

水野さんのツイッターをフォローしていて、自分もそういう風になりたい!と思って仮面浪人を(非常に安易だが)しようと思った。

しかし、私は重大なミスを犯していた。授業には出ない、と思っていたから1年の後期(秋学期)を"休学"という形にしてしまった。前期(春学期)で進級に必要な単位を揃えていたから、後期を休学しても2年生になれるだろうと思っていたのだが、在学期間の要件を満たさないためそれは無理だという。しかも、それはしばらく経ってから気づいた。

そんなことも気付かず、代ゼミの映像授業を受けることにして貯金から授業料を払い、2度目となる受験勉強のスタートを切った。

録画された授業を観てノートを取り、その復習をする。なんとなく「勉強している気分」にはなっていた。モニターの向こう側で有名講師が分かりやすく講義をしてくれる。しかし、私は高2で諦めた数学と理科がどうしても壁になっていた。授業を観て、理解までは出来る。ただ、実際の問題に直面したときに解けるかどうかは全く別問題で、いわゆる「分かるけど解けない」状態だった。

そんなこんなで予備校の授業を"こなして"いたが、3か月ほど経った2010年11月ごろ、「こんなことしてても東大なんか無理やろ」と思うようになった。一気にやる気がなくなった。今度は"うつ"状態が始まってしまった。予備校に行くのはやめた。生活は昼夜逆転し、一切合切のやる気を失った。